森を歩き、畑に入る 土地の恵み、作り手の想いを一皿へ
【求人募集】
料理につながる気配があちこちに潜む畑や森。同じ季節に木は芽吹き、植物は実をつける。けれど、その実りはいつも同じとは限らない。だからこそ、すべてが大切な出会いになる。
「良い食材って、探すものではなく、出会うものだと思うんです」
そう話すのは、ペルースとダイニングでシェフを務める宮城さん。
「今年できなかったら、来年まで待たなきゃいけない。自分の人生で、あと何回この瞬間を経験できるんだろうって、いつも思います。」
自然を相手にすると、そうした時間の有限性を感じるという。その言葉からは、自然の巡り一つひとつを受け取りながら料理をする、静かな覚悟がにじんでいるように見える。
その日、食べられるものを食べること。素材を通して、土地を感じること。
その積み重ねが、彼の料理になっていく。

キャリアの始まりは、パティシエ。きっかけは学生時代、結婚式場のアルバイトで食べたクロカンブッシュだった。“こんなものが作れるようになったらいいな”。そんな素直な憧れからだった。
高校卒業後は、地元・沖縄の調理専門学校へ進学し、ホテルの宴会厨房、パティスリー、町のケーキ屋などを経験。一日に10種類もの焼き菓子を焼き続ける日々を送った。
技術だけでなく、素材と向き合い続ける体力や、同じ仕事を積み重ねる持続力も、そこで自然と身についていったという。
その後、お菓子の世界から料理の道に進み、沖縄から山形へ。そこには、素材が本来持っている味わいを何よりも大切にし、その力を引き出すことに心を尽くすシェフがいた。
彼のもとで料理を始め、調味や技術で“つくり込む”のではなく、素材の声に耳を澄ませ、引き算で料理を組み立てていく姿勢を身につけた。パティシエから料理人へ、そしてシェフとしての基礎を築いていった。
「山形で学んだことは、料理のために食材を探すのではなく、“この食材があって初めてこの料理ができる”という発想でした。」
レストランのあった周辺地域には、在来種の野菜が多く残っていた。土地に根ざした作物は、長い時間をかけてその風土に適応し、受け継がれてきたものだ。育てやすさや収量の多さだけでは語れない、その土地ならではの味や形がある。
地域の農家と顔を合わせ、その年ごとの作物の出来や畑の状況を受け取りながら、その都度料理を組み立てていく。そうした経験から培われた、土地の実りに応えながら料理をつくる姿勢は、KURKKU FIELDSでより直接的に実践できているという。
ここには、畑があり、作物が育ち、収穫され、料理になるという一方向の流れだけではなく、ときには厨房から畑へ向かい、森や土地に分け入り、食材を探しに行くこともある。
料理をつくる視点が畑へと戻り、“どんな作物があれば、この一皿が生まれるのか”を問い返すことができる。
山形にいた時も、都心の厨房にいた頃も、生産者とのつながりはあったが、すぐそばに畑があり、日々の成長や変化を感じながら料理ができる経験は、ここに来て初めてのことだった。

日々、場内を歩く宮城さんの姿をよく見かける。
鶏舎へ行けば鶏の様子を聞き、野菜を育てる人のもとでは土の状態や作物の変化を教わる。またある時は、周辺の森の中へと姿を消し、キノコ、山菜、花……旬の素材を探しにいく。
任せきりにはできない自然のもの。厨房に閉じない料理人として、同じ土地にあるさまざまなつくり手のそばに身を置きながら、学びを重ねている。
彼を見ていると、厨房と畑が役割を分けた場所ではなく、同じ営みの延長線上にあることに気づかされる。

甘さ、香り、酸味と甘みのバランス。さらに、形や質感、素材がもともと持つ性質。それらが重なり合うことで、料理は奥行きを持つ。
噛んだときの歯触り、火を入れたことで立ち上がる甘み、舌の上でほどけていく感覚。宮城さんにとって味とは、テクスチャーや質感まで含めた、もっと立体的なものだという。
たとえば大根ひとつでも、部位によって性格が異なる。辛みのある部分、瑞々しさの強い部分、辛みが熱によって甘みに変わる部分。
何を引き出したいのかによって、切り方も、火の入れ方も変わる。味を足して調和させるのではなく、素材が持つ特徴をどう居心地よく立たせるかを考えることが、彼のスタイルだ。
さらに、宮城さんが大切にしているのは、ひとつの皿の完成度だけではない。肉、ソース、素材同士の関係性、それらがコース全体の流れの中でどう響き合うか。ひと皿だけでなく、コース全体を通したときに気づく感覚や、完成される感覚が、少しずつ自分の料理観になっていったという。
「素材だけで味を作るというより、素材から味が生まれるという感覚なんです。」
人も食材も同じで、居場所が変われば持ち味が生きる。重要なのは、味そのものよりも、その素材が持つ個性や性質をどう生かすか。伝統的にはこうだと扱われてきた素材も、異なる技法や感覚を通すことで、別の表情を見せることがある。
そうして生かされた食材たちを見ていると、まるで自分の存在まで認められたような気持ちになる。

ただ“おいしい”で終わらないのが、宮城さんの料理だ。しみじみとした感動や、人生の経験を重ねた先に立ち上がるような深み。一口、また一口と運ぶたびに、素材の輪郭と料理の物語が次々に立ち上がってくる。
どんな一皿にも必ず、見えない多くの人の存在がある。汗水垂らして素材を育て、運び、支えている人たち。宮城さんは、その営みを受け取り、皿の上にのせ、誰かに手渡す。
“おいしさ”を共有することは、コミュニケーションであり、その向こうにある背景を伝えること、感じることなのかもしれない。
「料理人として、自分はその間にいる存在だと思っています。」
その気持ちの根底にあるのは、食べられることへの感謝。自然や人、日常にある当たり前の背景に目を向けると、不思議と気持ちが優しくなるという。
便利さが求められる時代だからこそ、その裏側にあるものへ目を向ける。効率のなかでこぼれ落ちてしまうもの、そして過程のなかにこそ、大切なことがあると感じている。その積み重ねが、おいしさにつながっている。
「時代によって価値観は変わっていく。それでも、どんな時代にも対応できる料理人でありたい。」
芽が出て、育ち、収穫され、それらが料理になり、食べられ、そして次の何かを生み出していく、料理という循環。人も、虫も、植物も、菌も、原理としてはきっと同じだ。
その中に、料理人として、ひとりの人として、宮城さんがいる。
自然と素材と人が交わるこの場所で、今日もまた、静かに一皿と向き合っている。
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