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小林武史×小山進シェフ
対談 | 最終回

小林武史×小山進シェフ
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#対談 #Mr.Chirdren#小山進#小林武史

UPDATE 2022.7.30

2022年4月19日。PATISSIER eS KOYAMA の小山進シェフをお招きして、KURKKU FIELDS のスタッフに向けた対談を行ないました。

話は、二人を結びつけた Mr.Chirdren の話から、小山さんのお菓子を作るクリエイティブ、小林が最近思うクリエイティブにおける流動性の大切さ、そして、まったく違う分野で活躍する二人が共通して感じる「POPと本質」の面白さまで、次々と展開しながら進んでいきます。全3回にわたって文章で対談の様子を紹介します。今回は最終回の第3回。どうぞお楽しみください!

<過去の記事はこちら>
第1回
第2回

小林:色々複雑なのはもちろんいいことだと思うし、人によって感じ方が違うのもいいことだと思うけど、例えば KURKKU FIELDS のように、実際に場内に入ってみて、次第に KURKKU FIELDS といったらこういう感覚、というものが明確になっていくのもいいと思う。さっきも言った「POPと本質」のように、物事は大体が2つの間に挟まれていてその2つの間のグラデーションの中でここがちょうどいいんじゃないかって思うところが見つかっていくというか。一方で僕は世の中にはハマるかハマらないかのどちらかしかないとも思う。あるいは「的を射る」という言い方もある。ここは本当に決めないきゃいけない、とかね。シェフの最後の塩加減がブレブレになっていたらどうにもならないのと同じように、僕らが2つの間に挟まれているからこそ必要なプロセスがある。そういうことばかりじゃない?

小山:そうですね、お菓子じゃなくても全部一緒な気がします。ボーンブロスの話をしていてもそうだし、何をしていても着地は同じことのような気がします。小林さんが試作しているラーメンスープに合わせようと思って、今日は麺を打ってきたんですけど、小麦粉は普段よく使いますが、湯がくことはあまり経験がなかったのですごく興味深くて、最初は麺にハマり、次は鶏白湯にハマりました。何かにのめり込む時って、はじめに勘違いがあった方が夢中になれるんです。僕は鶏白湯の白さは、身の部分が細かくなってスープに入った白さなのかと思っていたんですよ。でも実験しているうちに、骨の髄、筋肉から味が出て、モミジ(鶏の足)や皮からゼラチン質が出て成り立っていることに気がついたんです。最初に試した時は、鶏の皮とかモミジを入れていなかったけど、何かこれはゼラチン質を入れたらうまくいくんじゃないかと思い、家にあったゼラチンを溶かしたら良くなったんです。でもそこには油が足りないから、今度は鳥の皮を炒めて油を出して入れてブレンダーで乳化させたらうまく白いスープになった。鶏の皮、モミジ、鶏ガラと丸鶏、鶏油、これを乳化させて作るのが鶏白湯なんだということがわかったんです。で、こんなことをやっていたら、新作のスイーツが3個も生まれました(笑)。

いちごと砂糖でジュレをつくるときに、そこにバターを入れて乳化させたら多分いちごミルクじゃないゼリーができると思って、小山プリンにジュレをかけて1品、もしかしてこれはマンゴーでやったらもっといいのではないかと思ってやったら案の定おいしくできて、これで2品です。

別にこれは、鶏白湯のつくり方を調べたわけでもないけど、でも鶏の役割を部分的に考えていくとつながってくる。そういうつくり方が50代後半に差し掛かってやっとできるようになってきたという感じですね。

小林:相変わらずクリエイティブの道まっしぐらだね(笑)。本当にクリエイティブはカウンターカルチャーと言って、今ある常識が永遠に僕らに蓋をするようなことになって息苦しくならないように、常識を疑い、ひっくり返していくことで扉が開いて新しい地平線が見えるということを繰り返してきていると思うんだけど、さっき言ったせいろそば一枚をつくり続ける、という人を否定はしないけど、それだけを続けると本質が見えなくなってくることってあると思う。やはり前後や周りを見ていた方が間違いなくいいと思うんだけどね。でもやっぱり、本質ということに関していうともう一つ、なんでKURKKU FIELDSがここにあるのかということもそうだけど、なんでもかんでも分解して探っていくということは良いんだけど、人間の興味は「もっともっと」という欲望の中で、地球的な意味でのバランスを失ってしまったということはあるでしょ。今のロシアとウクライナの核の脅威についても、そもそもは燃え続けている太陽への関心から始まっているわけで。太陽の中で核融合が起こっているということを発見して、それを自分たちでつくってみたいという欲求の原理原則から始まっている。だからクリエイティブの中で、なんでもやれることを試していいかと言われると、クエスチョンマークがつくことも多い。ではベーシックに戻るといいかというとそういうわけではないのだけど、僕らが続いていく未来についての責任を誰が持っているかと言ったら、一人一人が持っているということでしかないわけで、「誰かがやるんでしょ?」っていう話ではない。拡散していくことと収縮していくことの繰り返しを自分たちの中で捉えてやっていくということのような気がしているんです。

でも今、鶏白湯の話で思ったけど、すごくシンプルなものじゃない? そのシンプルなものを、普通そこまでスープ屋さんでもないのに思わないかもしれないけれど、分析し、追求する力って必要なことかもしれない。どこかで僕らはベーシックに戻ろうとするんだけどその中からまた拡張していくということを続けていかないといけないんじゃないかと思う。

小山:鶏を理解すること。はじめ勘違いしていたことがわかるだけでも進歩です。これまでの経験で知ったつもりになっていたことが実はそうじゃなさそうだ、と思ってからうまくいったので、収縮と拡張がクリエイティブの源泉というのはあるかもしれないですね。

小林:あと、これは主体とは違うところから物事を考えていくと見えてくることがある、という話ですが、僕はThe Beatles(ビートルズ)を時々聴き込むんです。初期の彼らは凄まじいアイドルで PA も聞きづらいようなスタジアムツアーをやって、途中からライブをやらずにレコーディングしかしなくなっていく。その後ビートルズがどこへいくかというと、ビートルズが主体を一回離れて架空のバンドを自分たちで演じるというアルバムで、”Sgt. Pepper’s”(サージェント・ペッパーズ)というアルバムを出すんです。”Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band” というバンドで、ファンタジーとかプログレッシブ・ロックとかサーカスみたいな要素とか、いろんなところを旅して行ったり、架空のもので自由だから、いろんな発見が出てくるという。エンターテイメントに長けたポール・マッカートニーと、政治的・社会的なことから入っても詩人であり、アーティストとしての資質を持ったジョン・レノンがグッと融合していることが大きな要素だけど、あれをビートルズという主体として解釈しようとしたらたぶんあのアルバムは生まれなかったと思う。自分たちから離れて架空のものとしてやったからあれだけ見事に混ざり合うということができたのだと思う。だから、演じる。何が素で、何が架空なのかの境界線も難しいことなんだけど、いろいろ遊んで欲しいと思う。それは本当はずっと動き続けているものだから。その中で追求し続けて欲しいと思うわけです。

おわり

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