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#エッセイ #オーガニックファーム#たまご#養鶏

UPDATE 2023.3.31

こんにちは。養鶏を担当している松村洸大です。

突然ですが、人の生き方は千差万別だと思います。
けれど、生きる根本は食べること。食べるということは、何かを殺して命をいただくということ。私たちは、植物を含む生き物を「食べるため」ある意味では殺すことを目的にそれらを愛で、育てています。

約5年前、私は某田舎町の食鳥処理場で毎日約300羽を絞めていました。日が明ける前の満天の星空の中、屠場へ向かい、鶏の血を浴びながら作業に取り組んでいました。初めの一羽のことは今でも鮮明に手の感覚とともに残っています。毎日の流れ作業を繰り返していると、ある時を境に鶏が生き物ではなくなる感覚に陥ります。ベルトコンベアで凄まじい速さで工業製品を組み立てるように鶏を鶏肉に、そして商品へと姿を変えていくことが仕事でした。

庭先養鶏の時代に遡ることが理想の人と鶏の共生の姿ではないかと想像しながらも、現代では毛羽の無い鶏が研究開発され、恐竜の末裔(まつえい)と呼ばれる鶏が恐竜の姿に戻りつつあるという現実に直面しています。

商業的に鶏を飼育するということは、生き物をペット(愛玩動物)として飼育するのとは違います。ただ可愛がるために飼育する、という気持ちでは飼うことができないのが経済動物です。

そして、一般的な現場の一作業員として考えると、人が進んで行いたくない様な作業が散りばめられているのが養鶏業です。人によっては日々のルーティーンが退屈極まりない作業となることも多々あるでしょう。動物を扱うということから、飼育方法によっては世間から厳しい批判をされることもあります。

わたしはその、一般的に見るとあまり快適とは言えない「養鶏という仕事」に快適さを感じる一種の変人の類かもしれませんが、養鶏という仕事に一つの命を投じてみたいとも考えています。鶏の美しさと健全性を考えて日々の仕事に打ち込み、充実感を感じて暮らしてはいますが、現代の鶏の研究開発などを見るにつけ、明るい未来だけが待っているわけではないだろうと悲観的な自分がいるのも現実です。

そのなかで何ができるかできないか、何を感じてもらいたいか、わたしの表現したいことが

“いつも端っこで周りの様子を伺って自分を表現できずにいる”そんな少年少女に響いて、大人になった時、心にほんの少しだけ残っていればそれ以上の喜びはありません。

そんな物思いに耽りながら、大型トラックに鶏を載せて。

3月2日(木)「お肉になる日」鶏263羽出荷。 

言葉で美化できない作業、家禽業に有り。

松村洸大Kota Matsumura

1994年生まれ。東京都府中市出身。20歳の時に旅したインドで鶏に関心を持ち、大学卒業後、北海道生活に浸りながら養鶏業に携わる。都内の実家で10ヶ月間、鶏(雄雌)との共同生活を経て、2022年2月に株式会社耕すに入社。現在も鶏に取り憑かれながら、循環をテーマにした美味しい卵をお客様にお届けできるよう、日々研究中。

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